大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和54年(ワ)4131号 判決 1984年9月07日

原告(反訴被告) 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 橋本一正 亡甲野花子遺言執行者

被告(反訴原告) 江口保夫

右訴訟代理人弁護士 草川健

同 鈴木諭

主文

一  原告(反訴被告)の本訴請求を棄却する。

二  原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し、金二一万五七八三円及びこれに対する昭和五五年七月一〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告(反訴原告)のその余の反訴請求を棄却する。

四  訴訟費用は、本訴反訴を通じてこれを五分し、その四を原告(反訴被告)の負担とし、その余は被告(反訴原告)の負担とする。

五  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(本訴について)

一  請求の趣旨

1 亡甲野花子(以下「花子」という。)が昭和五二年一二月二七日東京法務局所属公証人船越信勝作成にかかる昭和五二年第一五七〇号公正証書によりなした遺言が無効であることを確認する。

2 訴訟費用は被告(反訴原告、以下「被告」という。)の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告(反訴被告、以下「原告」という。)の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴について)

一  請求の趣旨

1 原告は被告に対し、金三五五万七〇八八円及び内金五五万七〇八八円に対する昭和五五年七月一〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

(本訴について)

一  請求原因

1 訴外亡花子は、昭和五三年一一月八日に死亡したが、原告は右花子の長男である。

2 ところで、亡花子を遺言者とする昭和五二年一二月二七日東京法務局所属公証人訴外船越信勝作成にかかる昭和五二年第一五七〇号遺言公正証書なるものが存在し、右遺言公正証書には亡花子所有にかかる別紙物件目録記載の土地を同目録記載のとおり、原告、原告の妹である訴外丙川春子(以下「春子」という。)、原告の弟である訴外乙山二郎(以下「二郎」という。)、同訴外甲野三郎(以下「三郎」という。)及び同訴外甲野四郎(以下「四郎」という。)にそれぞれ遺贈する旨及び遺言執行者として被告を指定する旨の各記載がある(以下、「本件遺言公正証書」という。)。

3 しかしながら、亡花子は本件遺言公正証書による遺言(以下「本件公正証書遺言」という。)をしたことがないので本件公正証書遺言は無効というべきである。

4 しかるに、被告は遺言執行者として本件公正証書遺言を有効であるとして、これの執行をしようとしている。

5 よって、原告は被告に対し、本件公正証書遺言の無効確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1、2及び4の事実は認める。

三  抗弁

亡花子は、原告夫婦と同居していたが、同人らから数々の嫌がらせや虐待を受けたことや、夫であった訴外亡甲野太郎(以下「亡太郎」という。)死亡後の同人の遺産分割の際、長男である原告が他の相続人より多くの遺産を取得したことなどから、自分が死亡したときには原告に対する遺産配分を少なくするために遺言をすることを決意し、長女の春子の知人である訴外丁原夏夫(以下「丁原」という。)及び甲野家出入りの大工である訴外戊田秋夫(以下「戊田」という。)を証人とする昭和四三年一一月一三日東京法務局所属公証人高崎三郎作成にかかる昭和四三年第三七八七号公正証書(以下「昭和四三年遺言公正証書」という。)による遺言(以下「昭和四三年公正証書遺言」という。)をした。

しかし、右遺言後亡花子は、右遺言公正証書に記載されている自己所有の土地(大田区《番地省略》一〇七・四三平方メートル)を他に処分したため右遺言の内容について修正する必要が生じたことなどからこれを変更しようと考え、同五二年三月ころ、二郎、春子、三郎及び四郎らに昭和四三年遺言公正証書記載の遺贈分について変更するとの考えを伝え、右四名を通じて被告に遺言公正証書の作成の手続方を依頼した。

そこで、被告は、右依頼に基づき、昭和四三年遺言公正証書をもとに本件遺言公正証書の原稿を作成し、右四名を通して亡花子に右原稿が亡花子の意思に合致するものであることを確認した。そして、昭和五二年一二月二七日、東京法務局所属公証人訴外船越信勝、被告及び訴外大塚俊夫(以下「大塚」という。)らが東京都品川区中延六丁目一一番一一号所在の春子方に赴いて、既に四郎の妻や二郎の妻らにより原告方から連れられて来て右春子方に待機していた亡花子に面接し、被告及び大塚が証人として立会うなど所定の手続を経て本件遺言公正証書が作成された。

よって、本件公正証書遺言は有効に成立したものである。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

抗弁事実は全て否認する。

(原告の主張)

1  亡花子は、昭和五二年初めころから高血圧症及び動脈硬化症のため、原告の妻訴外松子(以下「松子」という。)の看護の下に原告方で就床し、週に一、二回医師の診察を受けるなどして休養加療中の身であり、本件遺言公正証書が作成されたとされる同年一二月二七日当時においては歩行も困難であって、右二七日はもちろん、そのころ亡花子が原告方から外出したことはなかった。

また、本件公正証書遺言中、亡花子のものとされている署名は、その筆跡からみて同人の署名ではなく、したがって本件遺言公正証書は第三者が偽造したものである。

そして、このことは、亡花子が死亡したのは昭和五三年一一月八日であるところ、同五四年三月一四日に原告方に所轄税務署から相続税の申告用紙が届けられたことから、原告は、同月二三日原告方に二郎、春子、三郎及び四郎らを呼び相続税の申告用紙が届けられてきた旨を伝えると共に、亡花子の遺産の分割につき相談したい旨申し入れたが、当日は右申入れに対し右四名は何ら返事をしないまま帰宅してしまい、その二日後の同月二五日にようやく春子から本件公正証書遺言の存在を知らされたものであって、このように亡花子死亡後長期間にわたって遺言の存在が明らかにされなかったというのは不自然であるし、また原告が松子をして二郎ら兄弟に本件遺言公正証書作成状況について尋ねさせたところ、当初同人ら各人の供述がくい違っていたことからもうかがわれる。

2  さらに被告は、本件公正証書遺言は、昭和四三年遺言公正証書を基礎としているものである旨主張するが、右遺言公正証書自体亡花子の真意に基づくものでないことは、その内容において次のような不合理な点があることから明らかである。

(一) 原告及び松子が亡花子に対し、精神的な虐待を加えたとの全くの虚偽の事実の記載がある。

(二) 別紙物件目録五の(一)の土地は昭和四三年遺言公正証書中には三郎への遺贈分として記載されているが、右土地につき、昭和四六年に亡花子は原告に、借地人から借地権を買い取った方がよいかどうか相談を持ちかけている上、同地は大田区《番地省略》が正しいのに、右昭和四三年遺言公正証書では大田区《番地省略》と誤って記載されている。

(三) 別紙物件目録六の(一)の二郎、春子、三郎、四郎らへの遺贈分として記載されている土地については、昭和五一年ころ、亡花子は原告に駐車場として使用できるよう工事の施行と以後の管理方を依頼している。

(四) 別紙物件目録六の(二)の二郎、春子、三郎、四郎らへの遺贈分として記載されている土地については、借地人との間に更新料及び借地人の名義変更料等について紛争が生じたため、亡花子は松子に相談の上、大森簡易裁判所に調停の申立をしたところ、昭和四三年一〇月二五日調停成立に至ったが、亡花子は原告に右調停調書の保管方を依頼している。

(反訴について)

一  請求原因

1 本訴抗弁に同じ

2 そして、亡花子は同五三年一一月八日に死亡し、被告は遺言執行者に就任した。

3 被告は本件公正証書遺言に基づき、その執行に着手し、昭和五四年四月一〇日訴外株式会社沓間事務所(以下「沓間事務所」という。)に相続財産である別紙物件目録記載の土地について本件遺言公正証書記載の内容による測量、分筆登記手続及び相続登記手続を依頼し、これを承諾した右事務所は右測量等を実施し、同五四年一二月二七日これらすべてを完了した。

4 そこで、被告は昭和五五年一月二三日右沓間事務所に大田区《番地省略》の土地の分についての測量代金及び分筆登記手続費用として金八〇万一七五〇円を、所有権移転登記手続費用として金六〇万八六〇〇円を相続人らに代って支払った。

5 右支払った金員のうち、原告の負担分は以下の計算式のとおり測量費金三一万六六九一円、登記料金二四万三九七円の合計金五五万七〇八八円である。

(一) 原告が遺贈を受けた土地

大田区《番地省略》

二一二・四六平方メートル

同        《番地省略》

二四七・一三平方メートル

同        《番地省略》

一四・五二平方メートル

同        《番地省略》

一三・三四平方メートル

合計 四八七・四五平方メートル

(二) 原告以外の相続人が遺贈を受けた土地

大田区《番地省略》

三〇〇・九一平方メートル

同        《番地省略》

四五・七五平方メートル

同        《番地省略》

三八・七四平方メートル

同        《番地省略》

三六〇・〇四平方メートル

合計 七四五・四五平方メートル

(三) 原告ら相続人が取得した土地の面積割合

原告

原告以外の相続人

(四) 測量費負担分

原告負担分 80万1750円×0.395=31万6691円

原告以外の相続人負担分 80万1750円×0.604=48万4257円

(五) 登記料負担分

原告負担分 60万8600円×0.395=24万397円

原告以外の相続人負担分 60万8600円×0.604=36万7594円

6(一) 原告は昭和五四年五月四日被告に対し、本件公正証書遺言は亡花子の署名が偽造によるものであるから無効であるとして東京地方裁判所に遺言無効確認の訴を提起し、これは昭和五四年(ワ)第四一三一号事件として係属した。

(二) しかし、原告は亡花子の筆跡は十分熟知し、本件遺言公正証書記載の亡花子の署名を検討し、亡花子の自筆であることを承知し、かつ、本件公正証書遺言の場所が原告の実妹春子方において公証人の面前における遺言であるにもかかわらず、原告は訴外田北勲に事実に反する筆跡鑑定を依頼して右訴を提起したのは明らかに不当な訴というべく、被告はやむを得ずこれに応訴した。その応訴の費用は東京弁護士会報酬規定に基づくと少なくとも金三〇〇万円を下らない。

7 よって、被告は原告に対し、遺言執行者たる被告がその執行のため、原告ら相続人に代わって支払った遺言執行費用のうち原告が負担すべき金五五万七〇八八円及び不当訴訟による損害賠償として金三〇〇万円の合計金三五五万七〇八八円及び右立替金五五万七〇八八円に対する反訴状送達の日の翌日である昭和五五年七月一〇日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は否認する。

2 同2の事実のうち、亡花子が昭和五二年一一月八日に死亡したことは認め、その余の事実は否認する。

3 同3ないし5の事実は知らない。

4 同6の事実中、(一)の原告が被告主張のとおりの訴を提起してこれが東京地方裁判所に係属していることは認めるがその余は否認ないし争う。右訴を提起するに至ったのは、亡花子の署名が本人の署名と思料されないばかりでなく、本件公正証書遺言には不自然ないし不合理な点が多々存在するからである。

5 同7は争う。

第三証拠《省略》

理由

第一(本訴について)

一  請求原因1、2及び4の各事実についてはいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、次に、抗弁である本件公正証書遺言の成立について判断する。

ところで、本件遺言公正証書が存在することは当事者間に争いがないのであるから、本件公正証書遺言が有効に成立したものであるか否かを判断する。

右争いのない事実に《証拠省略》を総合すると、以下の事実を認めることができる。

1  亡花子は、夫であった亡太郎が昭和二八年六月一日死亡したあとの遺産分割の際、同人が亡花子のために遺言を残さなかったため非常に苦労したという経験をもっていたこと、右遺産分割により長男である原告が他の兄弟より多くの遺産を取得したこと、亡花子は、原告ら夫婦と同居していたが、必ずしも折合いがよくなかったことから、亡花子は原告には内緒で原告以外の子供らに原告よりも余計に自己の財産を分けてやるための遺言をしようと考えた。

2  そこで、亡花子は原告以外の他の子供らと相談した結果、長女春子の友人の夫である丁原及び甲野家出入りの大工である戊田に公正証書遺言の際の証人になってもらうよう依頼し、昭和四三年一一月一三日銀座公証人役場において公証人訴外宮崎三郎の面前で右証人二名立会いの上、公正証書による遺言をした。

3  しかし、亡花子は、その後右公正証書遺言では三郎へ遺贈することとしていた東京都大田区《番地省略》一〇七・四三平方メートルの土地を第三者に処分したので、これの調整をはかる必要があったこと、前記遺言の際に丁原及び戊田に証人になってもらったものの、将来原告ら夫婦と丁原及び戊田との間でトラブルが起こる可能性もあり得ることを考えて改めて遺言をし直すこととした。

4  そこで、亡花子は、春子を通して丁原に相談したところ、同人から、その勤務していた会社の顧問弁護士をしていた被告を紹介されたので、春子を通して被告に遺言作成手続を依頼した。

5  そして、被告は、三郎、二郎及び春子らを通して亡花子の意思を確認しながら遺言の内容を確定していったところ、昭和五二年一二月初旬ころ内容が確定したので、被告は新橋公証人役場公証人訴外船越信勝に公正証書による遺言書の作成を依頼した。

6  昭和五二年一二月二四日ころ、被告は、春子から遺言書の作成を春子の自宅で行いたい旨の連絡を受けたので、亡花子の自宅で遺言書を作成するものと考えていた被告は、急きょ公証人役場に遺言書作成場所を春子方にしたい旨の連絡をした。

そこで、同月二七日の夕方、春子方において、亡花子は公証人訴外船越信勝の面前において、被告及び被告の法律事務所職員大塚俊夫の二名の証人の立会いのもとで本件公正証書遺言をした。

なお、亡花子は、当時高血圧症及び脳軟化症の状態ではあったが、当日午前一〇時半ころ、四郎の妻である訴外甲野梅子に付添われて自宅を出て、かねて打ち合わせておいた待合わせ場所に赴き、付近でタクシーを拾って右待合わせ場所に来た二郎の妻の訴外乙山竹子と落ち合い、同人と共に右タクシーに同乗して春子方に赴き、同所で被告及び公証人らの訪問を待っていた。

そして、亡花子は、本件公正証書遺言をした後、四郎が運転する乗用車で帰宅した。

7  亡花子は、昭和五三年一一月八日に死亡したが、本件遺言公正証書の存在が原告に明らかになったのは、春子が原告にその存在を告げた同五四年三月二五日のことであった。しかし、これは春子ら他の相続人が原告及び松子らとのトラブルを予想して、亡花子の埋葬等が一段落つくまでは遺言書の存在を明らかにしない方がよいと考えたためであった。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

ところで、《証拠省略》によれば、甲第二号証及び乙第一号証の一中の各亡花子名義の署名は、前掲甲第一号証の一、二及び乙第三ないし第六号証(いずれも公正証書である。)中の亡花子名義の署名とは、全く別人の筆跡であるとされている。

しかしながら前記各事実が一応認定できる上に亡花子名義の署名押印部分以外は《証拠省略》によれば、同号証中の亡花子名義の署名は同人が昭和四三年一一月一三日に銀座公証人役場の公証人の面前でなしたものであることが明らかに認められるところ、これと、当事者間においてその成立に争いがない前記各公正証書中の亡花子名義の各署名の筆跡の同一性を否定する田北鑑定は、にわかに採用し難いものといわなければならない。

また、証人小川壬子は当法廷において本件遺言公正証書が作成されたとする昭和五二年一二月二七日の午後に、当時柿を食べすぎて下痢をしていた亡花子を自宅に往診して診察した旨証言し(第一、二回)、さらに同証人の証言(第二回)により真正に成立したものと認められる乙第一三号証の一ないし六のうちにはそれに副う記載がある。

しかしながら、右二七日の前日に同証人が春子に交付した診断書(甲第二号証添付)には下痢の症状についての記載は全くなく、また、右乙第一三号証の一ないし六を見ると、一般に症状・経過等の欄への記載が少ない上、その記載内容も簡潔であるのに、同号証の三の症状・経過等の欄の一二月二三日の亡花子の状態についてのみ極めて詳細に記載されていること、このようにカルテに記載するほどの下痢をしていたのであれば、下痢に対する何らかの処置をとることが通常予想されるのに、同号証の三及び四は同月二〇日に亡花子に対して心臓、血圧、精神安定、強心のための薬を与えているのみで、同月二三日及び二七日にも下痢に対する特別の薬は投与されず、単に強心と栄養の注射をしたにすぎない旨の記載であること、同証人の証言についても、同五七年三月一二日の当法廷における証言では、亡花子は同五二年一二月二七日もふらふらしていて便所へ行くのにもはっていかなければならず、同人を外へ連れ出すことは困難である旨証言しているのに、同五八年五月一三日の当法廷においては、同五二年一二月二七日には亡花子は下痢も止まって楽になっていたのでそのまま薬はやらないでいた旨の証言をしており、投薬の必要性とも関連する重要な点について証言内容の変遷がみられること、さらに右一二月二七日の往診の件は、同五七年三月一二日の同証人の証言以前には原告側からの主張はもちろん、当時亡花子と同居していた原告本人尋問及び同人の妻である甲野松子の証言にも全く現れていなかったものであることに鑑みると右小川証人の証言及び前記乙第一三号証の三及び四は、その内容に不自然な点があるので採用し難い。

他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

なお、右判断にかかる事項以外の点に関する原告の本件公正証書遺言の成立を疑わしめる間接的事実の主張は、仮にそれらの事実が認められたとしても、いまだ前認定を左右するに足りない。

以上の次第であるから、被告の本訴抗弁は理由がある。

第二(反訴について)

一  立替金請求

1  請求原因1については、本訴抗弁について認定したとおりであり、請求原因2のうち亡花子が昭和五三年一一月八日に死亡したことは当事者間に争いがない。

してみれば、本件公正証書遺言は右亡花子が死亡した日にその効力を生じ、被告は同日遺言執行者に就任したものと認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  《証拠省略》によれば、請求原因3、4、5(一)(二)の各事実が認められ(但し、測量及び分筆登記手続については昭和五四年八月三一日までに完了しており、被告は右各費用については同年九月二七日に、所有権移転登記手続費用については同年一二月二七日にそれぞれ支払っているものと認められる。)、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3  ところで、民法一〇二一条によれば、「遺言の執行に関する費用は、相続財産の負担とする。」と規定されているが、右規定の趣旨は、遺言執行者は遺言執行に関する費用を相続財産の中からこれを支弁することができるとともに、相続財産の額を超える費用を相続人に請求することはできないことを定めたものと解するのが相当である。

そして、遺言執行者が、その執行につき必要な費用を立て替えて支払ったときには、民法一〇一二条による同法六五〇条一項の準用により、相続人に対して右費用の償還を請求することができるが、その場合各相続人に対して請求し得る額は、右費用を、全相続財産のうち当該相続人が取得する相続財産の割合に比例按分した額であり、かつ、当該相続人が取得した相続財産の額を超えない部分に限ると解するのが公平の観念にも合致し、かつ、同法一〇二一条の趣旨にも合致するものというべきである。

以上を前提に被告が原告に対して請求し得る額を検討するに、土地はその位置、形状、地目及び使用状態等によってその交換価値を異にするものではあるが、各土地の間に著しい価値の相異がうかがわれない本件においては、その取得した土地の面積によって各相続人が取得した相続財産の全体相続財産に対する割合を決めることも不合理とはいえない。

してみれば、原告が取得した土地の面積は四八七・四五平方メートル(約一四七・七坪)であり、本件公正証書遺言の対象となった全土地の面積は約九六四・五七坪であるから、原告が取得した土地の右全土地の面積に対する割合は約一五・三パーセントとなり、したがって被告が遺言執行のために立替えた金額である金一四一万三五〇円の一五・三パーセントに当たる金二一万五七八三円について被告は原告に請求することができるというべきである。また、原告の右費用償還債務は期限の定めのない債務というべきであるから、原告は右債務の履行の請求を受けた時から遅滞の責を負うと解されるところ、本件反訴状が昭和五五年七月九日に原告に送達されたことは記録上明らかである。

よって、被告の原告に対する反訴立替金請求は、金二一万五七八三円とこれに対する昭和五五年七月一〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

二  不当訴訟に対する損害賠償請求

裁判所に出訴する権利は憲法上保障された国民の基本的権利であるが、訴訟は誠実に行われなければならないものであり、その訴が理由のないことを十分知っているのに事を構えてあくまで抗争するなど提訴行為が公の秩序善良の風俗に反するような場合は民法上の不法行為を構成し、これによって相手方が出費を余儀なくされた弁護士に対する手数料その他の費用及び報酬額の賠償をしなければならないというべきである。

そこで、本件について検討するに、請求原因6の(一)の事実は当裁判所に顕著であるので、同(二)の事実について判断するに、なるほど前認定のとおり本件遺言公正証書中の亡花子名義の署名は同人の自筆によるものと認められるけれども、本件全証拠によるも原告において亡花子の自筆であることを十分知っていながらあえて本訴を提起したこと、あるいは原告が筆跡鑑定人田北勲に事実に反する筆跡鑑定をことさら行わしめたことまでは未だ認めるに足りない。

よって、その余の点を判断するまでもなく不当訴訟を理由とする損害賠償請求は失当である。

第三結論

よって、原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、また、被告の反訴請求は立替金二一万五七八三円及びこれに対する本件反訴状送達の日の翌日である昭和五五年七月一〇日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから右の範囲でこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項(訴訟費用の負担を命じる部分については相当でないから付さない。)を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鎌田泰輝 裁判官 高田健一 裁判官志田博文は転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 鎌田泰輝)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例